今回は ◆小渕奨学制度10周年記念会議報告 ◆参議院選挙 ◆慰霊の日 について話していきます。 |
それでは番組スタートです
OUROKINAWA 0622
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ダイスケさんのブログ「地域研究グループ シマミグイ」より
まず、慰霊の日とは、
1945年の6月23日に、
第32軍司令官牛島満中将と同参謀長勇中将が糸満の摩文仁で自決、
日本軍の組織的な戦闘が終わった日。
とされており、
沖縄戦によって多くの犠牲者を出したが、年々忘れ去られようとしているのを反省し、
世界の恒久平和を希求するとともに、戦没者の霊を慰めることを目的とし、
1974年10月に県条例によって制定された沖縄県独自の祭日。
だそうです。
1974年に制定されたんですね!
てっきり戦後すぐの時期に決められたのかと思っていました。
↓以下、情報・小ネタなど
■牛島満(うしじまみつる 1887年鹿児島生まれ)
沖縄防衛第32軍司令官
■長勇(ちょういさむ 1895年福岡県生まれ)
沖縄防衛第32軍参謀長
■沖縄戦の流れを簡単に
1945年3月23日に米軍が沖縄本島へ空爆を開始。
3月26日には先島にイギリス艦隊が来襲。
同日アメリカの上陸部隊が慶良間諸島へ上陸、29日までに諸島全域を制圧。
4月1日、沖縄本島の読谷山村・北谷村より米軍が無血上陸。
翌日には東海岸へ到達。(本島を南北に分断)
北上した部隊はほとんど日本軍の抵抗を受けることなく13日には辺戸岬へ達した。
4月7日ごろから米軍、首里城地下の司令部壕を目指して総攻撃を開始。
5月20日ごろには米軍、首里付近にまでせまる。
5月27日、日本軍は司令部壕を島尻方面へ移動。
6月19日牛島司令官、長参謀長「最後迄敢闘し悠久の大義に生くべし」の軍命を下す。
6月23日未明、牛島司令官・長参謀長自決。(22日説あり)
以後、責任者不在のゲリラ戦へ。
7月2日米軍が作戦終了を宣言。
↑ここまで
自分は専門が近世なので、
近・現代史は苦手で沖縄戦関係のこともあまり詳しくないので間違いもあるかも。
一次資料に当たって情報をチェックしておらず、
あくまで書籍からの引用ってことをご了承ください・・・。
慰霊の日に平和について考えるということを、しっかりと次の世代へ繋いでいきたいですね。
■参考文献
豊見山和行・高良倉吉編『琉球・沖縄と海上の道』吉川弘文館、2005
安里進・高良倉吉・田名真之・豊見山和行・西里喜行・真栄平房昭『沖縄県の歴史』山川出版社、2004
沖縄大百科事典刊行事務局編『沖縄大百科事典』沖縄タイムス社、1983
文責:saku
OUR OKINAWAわったーばんどーは、未来の沖縄の為に、今、考えて行動して行くのは「わったーばんどー、私達の番だよ」という想いでやっています。
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